まさか10回目まで到達できると思ってませんでした。がんばって5回かなあと思っていました。初回からずいぶん空きましたけどね。
「承認をめぐる病」という本を買いまして、さらにお仕事が落ち着いてそこそこ暇ができるようになりまして、ぽけーっと考え事をする機会が増えました。といっても大学生の頃はもっと色々考える、というか、上の空でいる時間は長かったんですけどね。社会の醜さについてシェアできる人が何人か…3人かな、いましたので何かと捗っていたものです。
4月は気付いたら終わってました。快適に生きていくには考えないことが一番だと実感します。
「承認」という言葉が今自分の中で非常に熱いです。確か高校~大学最初ぐらいの時期にもしょっちゅう使ってた言葉でした。承認。承認欲求。
やることをやってれば評価してもらえたのがちょっと昔でした。今は自分でやること見つけろなんて言われてしまいます。学校の勉強だけでなく個性を探せなんて。男らしく女らしくに従うのでなく自分らしく生きろなんて。個性。自分らしさ。なんなんだそれは。
他人からしても評価ができないんですよ。マークシートの採点なら機械にだってできます。作文に点数つけるのって大変でしょう。書くほうも大変だし読むほうも大変。ちゃんと個別に見てくれてうまいコメントつけてくれる人が見つかればいいですよ。どんだけ綿密な下調べしてタメになる文章書いたって「小難しくて意味わかんない」言われたり、ある人にとって心温まるエッセイだって「頭悪そう」なんて一蹴されたりするわけですよ。そもそも読んでもらえない人だって出てくる。書くことがめんどくさくなっちゃう人もいる。
「ありの~ままで~」なんて歌をこの頃よく聞きますね。その一節しか知りませんけど。流行ってるフレーズとは時代なり民意なりを表してるのだ、なんて言う人いますよね。「日本の未来は世界がうらやむ」だったのが今となっては「未来はそんな悪くないよ」だとか言ってね。そうだとしたらみんなありのままでいたがってるんじゃないですか。みんなキャラ演じてっから。
行ったことない場所入るのって勇気いりますよね。僕なんてラーメン屋ですらちょっと入るの怖ぇなって思うことありますもん。ほんとはパスタ屋さんオムライス屋さんパンケーキ屋さん色々行きたいんですけどね。そんなとこもってのほか。
でも初めての場所でもすっと入れる場合があります。チェーン店です。どこ行ってもさすがにファミマ入るのに躊躇はないですし、飲食店でも松屋なら安心してすぐ入れます。
とはいえ、そういうところだって最初は初めてだったわけですよ。当たり前ですけど。何かのきっかけでデビューして、それから馴染んでいったんですよね。
そのパターンを思い出してみると、「誰かと一緒に入った」「みんな行ってると聞いて入った」「ネットで調べて入った」とかになってきます。たまたま見かけてぶらっと入った場合もありますけどね。
これがこじらせ童貞論にまた繋がっていくわけですよね。まあなんか言いたいこと伝わりますよね。めんどくなりました。
何冊かモテ本、特にオタク向けと称されたものを先日立ち読みして回ってました。女ってこういうものだよ、こういうことを心がければ大丈夫だよ、といった趣旨がほとんどでした。敵を知り己を知ればって言いますね。敵を知ったつもりになって一つ覚えの戦法だけ持って戦えませんよ。それですぐ動けるアホだったらとっくに動いてる。童貞は賢い。未来の賢者をナメるんじゃない。
「北海道民はこういう奴だ」にはみんながみんなそうじゃないでしょ、と言える人が多いのに「女ってのはこういうもんだ」には結構うなずく人が多いのは何なんでしょうね。
敵については僕も知りませんので、己を知るための方向性の目安ぐらいを示すのが現代こじらせ童貞論の目的です。女性の側からしたら図らずも敵を知るのに有用なんじゃないですか。
だけどこの辺の心情についてはよく分からないですが、僕も女性向けの例えば「イイ女になる方法」みたいな本手に取るのには抵抗があるんですよね。敵の理想が分かれば現状も想像ついてくるもんだと思うんですけどね。この辺り向き合えてきたら何かまた発見がありそうです。
#10にするつもりでしたが40分経っちゃってたのでタイトル変えます。何にしよっかな。
コメントを残す