#10でいいんですかね。お久しぶりです。書くたび毎回「久しぶり」って言ってそのうちぷつんと更新途切れるタイプのブログになってしまいました。最初からそうでした。今まで続いているのが不思議である。
特に語る近況もございません。速いもんだよと先人…おっさんおばさんは口を揃えます。速いです。こうやってどろどろ自分という資源を溶かしていくのです。土に返していく。滅私奉公。大地に感謝を。
近くに誰かしら語れる人が欲しいなあと思います。「社会はクソ」という点だけ通じ合えればそれでいいんですが、何しろ近頃の出会いがことごとく社会の人であります。中に入って我を保つのは難しいんでしょう。順応しますからね。賢いから。
先回の記事から今日まで2回ほど何か書きました。ぼちぼちの文量であったと記憶していますが闇に葬られました。自動バックアップなんてなかったのだ。パソコンごと壊れた。
デストロイ×レボリューションという漫画をつい先ほど読みました。超能力持った地味青年がいろんな人と出会って力分け与えたりしてゴタゴタする話です。ぼちぼちよくある話かもしれません。こういう路線の漫画をざくざく読み漁っているので胃もたれ気味。それでも好き。
社会はね、やっぱりクソなんですよ。言行不一致、ぐらいが一番簡潔に自分の思いを表してそうです。こうは言うけど実際こう。みたいな話をするとき僕は具体例を出しません。単純に政治とか世界情勢とかそういう知識が微塵もないからなんですが、それとなく大雑把に言っておけばそれっぽいみたいなんですよね。いつか言ったかもしれないけど自分は教祖の左腕ぐらいのポジションが一番向いてたと思います。
不満。たくさんの人が持ってるんですけど、だけどその不満だっていう気持ちだけ共有してもどこからか話がズレてきたりするんですよね。ある程度まではすぐに分かり合えるんだけど。
人によって違う理由で何かしらの感情を持つ、その感情がある言葉でもって表されそれが共感されて、そしてまた向かう先も違うんですよね。
人を見て「んっ」となることが時々あります。どこか自分と同じだと。スピリチュアルにしていくと高次の視点ってのがあって、でもその視野は狭いんだと思います。人生を腺で考えれば簡単な話で、実践と点線があって、それが人によってあちこち向いてる、だったらほぼ間違いなく接点ってのが出てくるじゃないですか。数学で言うようにぴっしり平行なら別ですけど。ただその接点にあたるエリアが見えたり見えなかったりする。
運ですよね。縁って運ですよ。
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