誤って殺めて謝って

 物事を長い目で見るのがほんと~に苦手。見るだけでもハードルが高いんだから、もちろん長期的な目標に向かってなんやかんやなんてとてもできません。週単位ぐらいならギリギリ大丈夫です。月になるともうだめ。年なんてもう絶望。人生プランどころじゃないですよ。
 なんでかなーって一日中考えてた(そのせいで日単位でやれる仕事すら上の空でゴミみたいな出来だった)んですが、これきっと努力してる自分に酔えないからだ、という結論で今日を終えました。いやもう27時ですから番外編始まってますけど。努力認められたことないんですよ。努力がいいもんと思ってない。ここに行き着いたの結構早かったっぽくて、実際いくらか記憶が断片的に残る小学生あたりからは少なくとも努力した記憶が一切ないんですね。
 そうなるともう学校行く前の問題じゃないですか。家庭ですよね。最近自分の欠陥(と社会がみなしてきやがるポイント)について親のせいにするのがマイブームですよ。不孝ってレベルじゃないんですけどね。でもアンチ社会の僕としてはクズは褒め言葉ぐらいのもんですから許してますよ。感謝まではどうしても行かないですけどね。
 実際少なくともここ10年で親に褒められた記憶ほぼほぼないですからね。毎パソ初回優勝で「すごいね」って言われただけですよ。でそれも成果に対してですもんね。そしてそのことも散々言ってきた「やればできる」の「やってできた」例には入ってなかったらしく、元々タイピングオタクだったしな、ぐらいの扱いでございました。はい。
 そんな経験をもってしてってわけで、仕事教える側になれば「すごいねもう出来るようになったの天才かよ」だとか、ちょっとガチめに落ち込んだ友人がいれば「いやでもがんばってると思うよ、それでがんばれるってのはすごいことだよ」なんてもうオーバーに言うようになってますよ。キャラちゃいまんねんけどね。

 でね、そうなってくるとまあ、がんばる気なんてしないんですよ。人の喜びを自分の喜びにできる特殊スキルなんて持ってませんから社会貢献なんかはもってのほか、自分のためにする努力すら完全に億劫ですよ。明日のために今日ちょっとだけがんばっておくってのができない。日常的で深刻な具体例を出すなら目覚ましがかけられないですね。翌朝の勝率が一気に下がるのが分かってても寝る前に手を伸ばすのがだるくて。池沼級だな??
 そんなわけでぼちぼち遅刻かましてますし、なんとか間に合っても午前中爆睡かますことたびたびですけど、それでも社会人のテイは取れてるのが奇跡的でありますよね。
 ここがもう自分の意識すら超えた処世の術(すべ)というか、生きるための本能の目覚めというか、そのぐらいは大げさに表現していいと思うんですけど、あいつは仕方ない、と思ってもらえるんですよ。諦めてもらうのがうまい。どうやってるのか自分でも分かりません。
 たぶん、まずがんばってる感じを(ちょっとあからさまに)出してるんです。で、やればできる感も同時に(こちらはそれとなく)出してるんです。この辺の配合だと思います。あと相手によって変えてる気がします。たぶん。たぶん。
 どこまで押せるかの閾値検知にかけてはもうプロですからね。それで食ってるってとこでほんとにプロですよ。偏差値は知らんよ。

 でもなんだか、そんなとこでポテンシャルぶっぱしてる自分が虚しくなるときもありますね。マイナス(と社会がみなしてきやがるポイント)を打ち消すために使ってるわけですからね。プラス(と社会様がみなしていただけるポイント)を伸ばすためにも使ってみたさはあります。が、自分のプラス(と社会様が略)って自分で分かってなかったりして。何かあるのかもしれないけど、ないもんと思ってます。そういう意味で自分に期待してないんですよね。
 というのもあいまって10年20年とか先の自分を見たくないってのもあるんでしょうかね。すっかり現代あるあるの夢も希望もない若者さんですわ。「若者」でくくるお前らが作ったんだぞ、出来たんじゃないんだぞ、なんて言いながらもしも小学生ぐらいの読者がいたならこの記事も同様にもっとひどい(と社会が略)「若者」を作っていくことになるんですね。悪(と社)循環って怖いね。

 僕やっと将来の夢固まり始めましたよ。新興宗教の教祖か幹部です。みんなを幸せにするんだ。


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