ご時世の関係もあって考え事なんてしてしまいました。
すごい事になってますよね。
気にしなければみんながはしゃいでる、ぐらいの感覚でしかないんですが、少し気にしてテレビだのインターネットだのに触れてみるとどうもなかなかすごい事になってるらしい事がわかります。
それでも自分の生活に大きな変化はなくて、せいぜいマスク付けずに買い物にいくとなんだか目線が気になったりとかそれぐらいです。
早いとこ収束?終息?してほしいよねと社会じみた感覚もある一方で、行くとこまで行ってメチャクチャになってくれと思う中二心もまだ残っていたことに気付きます。
メチャクチャに、阿鼻叫喚とまで行くにはまだ足りないかなと思います。もう数個ういるす来なきゃダメですね。
もっとも薬局に連日詰めかける方々のお話なんて見るとそれはそうだなと思うんですが、でもみんなにお金とかマスクとか配るみたいだし、それでちょっとは落ち着くんじゃないか知らんけど、と思えてしまうぐらいの感じです。
死ねとは思うけど殺したいわけじゃない、死ぬのは嫌だから世界滅んでほしい、それぐらいのライト層にとって今の感じってわりと心躍る感じなんじゃないでしょうか?
確か中高生ぐらいの自分がそうだったと思うんだけど、その頃だったら100%でメチャクチャを望んでいたと思います。学校休みなるし。それだけでうれしい。
パンデミックなり緊急事態宣言の響きだけで二合はごはんが食べられますね。
なんていっていると危機感ないのか最近の若者はとボコボコにぶっ叩かれてしまうと思うんですが、そりゃ死なないしという感じですよね。
だって結局必ずすぐに騒ぎは終わるし、ワクチンは必ずすぐに開発されるし、そうして必ずすぐに普段の生活が戻ってきますからね。
と、社会を絶対的に信じているから能天気でいられるんだろうなと思いました。
かつてメタメタに貶し続けていた社会、やっぱすげえよ……。
ただその、アメーバってちぎれても生きてるからすげえよなとは思っても、例えば水道水にもジュースにも絶対入ってるんだよとか聞いたら真偽はさておき一旦オエッとなりますよね。そういう感じです。
生かされてる身である以上何も言えない、という所からパワハラとかは出てくるとは思うんですが、上司は殺せても社会は殺せないんですよね。
表面上従ってやり過ごして、同僚やインターネットに愚痴を吐いて、それが「「「かしこい」」」ムーブである事なんて往々と。
そうして奴隷になるんですが、かしこい択を取ったつもりでいられる限りは救われていると思います。
真に救われるためにはを考え始めるとどれだけ何らかの宗教にハマれるかになってくる気がするので、インスタントな救いも真の救いという定義がバチッとハマると上手くいく予感が最近し始めています。
見えないなら存在しない、無である、みたいな考え方が哲学であったと思うので(覚え方が雑)、それを徹底して考え方から感じ方に落とし込んでいくと100.0%まで行かずとも、おおよそ真な救いは得られるんじゃないかしらと去年ぐらいから思い始めています。
見えないものを見ようとして望遠鏡を覗き込むとアウトです。
知らないものは知らない、分からないものは分からない、分かろうともしない、というのは日々の心がけで実践できる現実的なラインのはずで、多かれ少なかれ全くできていない人はいないはずなので、あとは「バカでいいんだよそんなきみが好きだよ」と承認欲を満たしてくれる何かしらが運よく手に入れば完璧にキマるはずです。
救われる!!!!救われよう!!!!!
紆余曲折の末、けっきょく「バカは無敵」というありきたりな結論が出たのでした。
しらねえくだらねえ!(←これが大事)
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