こんばんは。ここあって言います。
最初はココアだったんですがあまりにも幼いのでいつのまにかcocoaになりました。
cocoaではホームページやらブログやらのIDが取れないのでcocoanになりました。
Twitterでみんな名前がひらがなだったのでここあになりました。
もっと素敵なお名前にすればよかったと後悔しております。
ほんとに「ここあ」って腐るほどいる!腐ってるの見たことない!
すごく=超=めちゃくちゃ=バカみたいに=アホみたいに=クソみたいに。
名古屋の小学生は「すごく大きい」を「でらくそでかい」って言います。でかそうです。
きょうは3がつ20にちです。にじゅうにち。
ここまでは2月に書いていたらしいですが放置していました。Twitter慣れというのは恐ろしいもので140字以上の長文を書こうとすると激しい発作は起きずにただただ息切れを起こすのです。怖いですね。
小5の時に「ココアの日記」なんてものをFC2サーバーで書いていました。夏休みになるとやったらと長文になって画面一面を埋め尽くす程度の文章量を書き上げていた気がします。これが現在のタイピング技術に多少なれ貢献していると考えれば黒歴史も何らかの形で現在の自分に影響を及ぼしてるんですね、マイナス面に限らず。
が、自分のくろれきしを見つめるのはえてして、ってかすべからく辛いことです。だからって削除、処分もしないあたりやっぱり自分は自分大好きっ子なんだって実感するけれど。こっちに移転する前のブログもまだ残してるしね。中1のログとか残ってるしね。
過去の自分を「キャーヤダーミタクナイー」だなんて顔を手で覆いながらも指の隙間からがっちりぞうさんを凝視するネネちゃんのごとく見つめることに果たして意味があるのかはよく分からないです。日本史では重要らしいですけどね。日本の辿ってきた道筋を正しく知ることでそれらを反省したり自国の誇りに繋げたりって。
それでも果たして意味はあるのか(まさかの再提起)。
血眼になってキャッシュを漁って小学生のときに書いていた『ライフシステム』とかいう自作小説(笑)を探し出し、見つけたならばそれに目を通し、読み流し、さらには熟読玩味をして当時の自分の精神分析までしてみたところで現在の精神を病むだけな気もします。
覚えている限りでのライフシステムのあらすじはこうです。
朝目覚めたらあたり一面真っ白な世界でした。
すてきな女性がいました。話をしました。
どうすればいいのでしょう。(ここまで書いた)
ライフシステムというのは生きるのに必要なシステムのことです。
(笑)
でもね、やったら長文だったんですよえっらい長かったんですよ。最初に50行くらい書いて。ったってこんな感じでずらずら埋めず一文ずつで改行してたからせいぜい20字ですね。1000字ですか。毎パソなら5分で打つべき分量ですか。
で、それからちまちまと書き加えていったのです。当然の流れとしてそのまま飽きました。
ちなみに詩も書きましたが消しちゃったうえ内容も覚えておりません。が、あれは酷かった、という印象だけ克明に記憶しております。
詩といえば!って感じでどうも中原中也です。国語便覧開こうがネットで検索かけようがほんっと自分に似ててそのたび若干の慄きと同時にほくそえむっていうかにやけはしないけど愉快な気分になります。
かなり期間空いちゃってとりあえず何か投下しておかないとって感じなので落とします。