今もお腹は痛いけど激辛ラーメン食べたせい

 大学のゼミの友人からメールが来ていました。「今度ごはん行こ」と。卒業して以来少しも連絡とっていなかったところで唐突に来て驚きました。「いやー今東京移っちゃってるしなあ」なんて返すと、「(ゼミの)先輩の○○さんと××さんも来るんだけど」と。「行くわ」と返しました。
 ちょうどその2人が両方おっぱい大きかったから、ではなく、それとなく”闇”のオーラを放っている方々だったんですね。自分を出して生きていないというか、ささやかに反社会精神の片鱗が見え隠れしているような、そういった雰囲気を醸している人たちでした。1人は留年してました。1人は優秀ながら非コミュでした。ちなみに友人はスロプロです。
 日程は合わせてくれるっぽいのでいつごろ名古屋戻ろうかなあ、なんて考えていて思いました。

 「”闇”って何だった?」

 小学生の頃は「何も考えてなさそう」とよく言われました。それが中学生になると「何考えてるか分からない」になり、高校生からは「人に対して壁張ってる」、大学生になると「何か闇、抱えてるよね」となっていきました。心の闇。Twitterでよく使っていた言葉でした。何でしたっけそれ。
 特に事情とかも抱えてないんですよ。これといって不自由ない生活はできていたし、親が離婚したとかそういう系のもないし、少ないながらもちょこちょことお友達はできていました。それでどうして闇がどうこうなんて話になってくるの、って感じですね。
 だけどストレスの蓄積は多かったように思います。で、怒るだとかキレるだとかってことも小3?ぐらいでやめてしまいました(そのときはイスとか振り回したらしいです)。それからはイライラ案件があってもとにかく泣き寝入りです。最初はこらえきれなくて涙も流してましたが、徐々にそれを抑え込む要領も分かってきました。
 1つ1つをすぐ解消できていれば良かったんですが、なまじっかキャパシティがあっただけにだいぶ溜め込んでいました。長く溜め込んだ分いつか破裂したら人でも殺すんじゃないか、それこそ秋葉原で暴れるんじゃないか、と自分で心配してたんですが、どうやら大丈夫みたいです。もう大丈夫。
 離れてみて思いますが、どうもストレスの原因、8割ぐらい家庭絡みだったみたいです。人に話せばおそらく必ず「いい家族だね」なんて言われると思うんですが、少しもそうは思っていませんでした。環境自体はよかったんですが、どうも人だけが致命的に合わなかった。

 ここでいろいろ考え出して20分ぐらい指が止まっちゃったのでまあ詳細については省いていきますが、とにかく積もり積もったストレスから社会を憎むようになっていったわけですね。俺がこんなに辛い思いしてるのは社会のせいだと。「非社会化マニュアル」、元気なうちに完成させておけばよかったです。
 要は、日々積み重ねてきたストレスが心の闇を完成させたと。

 過去形なの?と読んでいて何度か思った人はすごい。嫌いな社会に貢献する嫌いな社会の人になってみて、そこそこストレスの元は解決された気がしています。高校生のときからずっと漠然とながら東京住みたいな~なんて思ってたのが実現して、毎週毎朝通勤とか無理だしもっと楽なのを~と思っていたら週3勤務が実現して(でも正規だよ)、そして何より家族と距離を置けました。
 心の闇、消えるんじゃないでしょうか。

 これだけが怖いんですよね。自分が自分じゃなくなっていく感覚ですからね。真っ暗な自分の部屋で痛むお腹を押さえてタバコ吸いながら「社会マジでクソすぎる」なんてネットに書き込んでた自分が大好きだったんですよ。そうやってかわいそうな自分に酔ってたからギリギリ生きてたのかもしれないです。
 コンテンツとしてのおもしろさもなくなっていくと思います。自分より自分のこと知ってるんじゃないかって人に「お前には闇持ちを引き付ける能力がある」なんて言われてましたけど、そのチカラもいずれ失っていくことになるんでしょう。先日の飲み会、初対面の人が多かったんですが、明らかにオーラが近い…と思った人にあまり好いてもらえませんでした。「あっ」と思えば大体すぐ打ち解けてきてたんですけどね。

 これからはクズからゴミに転生しつつある自分を受け入れられるかの問題になってくると思っています。今の自分、嫌いですもん。

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